(田原総一朗×三宅香帆)全身全霊か半身か? 新時代の「言論の自由」


田原総一朗(ジャーナリスト)×三宅香帆(文芸評論家)

 

ジャーナリストの田原総一朗氏と文芸評論家の三宅香帆氏、「半世紀違い」の異なる世代の2人が対談。仕事と読書の関係の歴史をたどりながら現代社会の労働のあり方を問う著書「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社)を上梓した三宅氏は、「半身」で生きることが今の疲労社会の処方になると説く。一方、田原氏は、「全身全霊」こそがおもしろいと反論する。しかし議論は意外な方向へ。本を読むことの意味と現代の労働観、森鴎外の生き方、日本社会に蔓延する同調圧力、それに屈せずに「自分の言葉」を持つにはどうすべきか、本を読むことの意味と現代の労働観などが話題に。田原氏から「自分の言葉はない」と驚きの発言も飛び出すなど、議論が白熱した。(文/奥田由意、編集/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光、撮影/堀 哲平)

 

 

偉くなりたいとは思わない

変な空気になったって別にいい


三宅香帆氏(以下、三宅) 田原さんのズバズバとした物言いは、現代において稀有(けう)な語りだと感じるのですが、けんかを恐れないようになったのは、なぜなのでしょう。

田原総一朗氏(以下、田原) 偉くなりたいと思っていないんです。会社内の出世を選ばずに独立しましたし、国会議員や組織の重役に誘われても固辞してきました。偉くなれば、言いたいことが言えなくなりますからね。全部断りました。

三宅 とはいえ、偉い立場にいらっしゃいますよね。昔からとてもお忙しいのに、本をたくさん読まれている。

田原 いえいえ、そんなことないですよ。いつも叱られてばかりです(笑)。本は毎日読んでいます。僕は趣味がないんです。本を読むか、書くか、取材するか、これしかありません。強いていえば、仕事が趣味なんです。

 昔から、麻雀もしないし、ゴルフもテニスもしない。食事にあまり時間をかけないし、飲み会にも行かない。だから、本や新聞を読む時間があるのです。究極、寝る時間を削れば本は読めますしね。

三宅 飲み会に1人だけ行かないと、田原さんのような業界では特に「あいつは付き合いが悪い」とか「和を乱す」とか言われたりしませんか? 変な空気になるといいますか。

田原 変な空気になったって、別にいいんです(笑)。僕が出演する番組や記事が話題になってくれさえすれば、僕自体がどう見られようがかまわないんです。

三宅 なるほど! ちなみに、読まれる本は、どのように選ぶのですか。

田原 直感でおもしろそうだと思った本ですね。新聞の広告や雑誌の書評欄などで知ることもありますし、なるべく本屋にも行くようにしています。

 銀座の教文館さんや月島の相田書店さんがお気に入りです(※)。フロアの広さがちょうど良く、見やすいんです。おもしろい本があると店員さんが教えてくれますしね。

※教文館は、東京都中央区銀座の中央通りに面した1885年創業の老舗書店。相田書店は、東京都中央区月島の月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)に面した1912年創業の「月島最古参」の書店

 実は三宅さんのご著書も、今回の対談が決まる以前に、書店で見かけて気になったので読んでいたんです。

三宅 うれしいです。書店に行くとおもしろい本が見つかるというのは同意です。今、どういった本が話題かもわかりますよね。

田原 三宅さんは、たくさんの本に囲まれていると思いますが、どのような本から読んでいくのですか。

三宅 気になっているテーマを扱っている本を優先的に読みます。最近ですと、『テクノ封建制』(※)という本がおもしろかったです。

※『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。』(著者:ヤニス・バルファキス、訳者:関美和、解説:斎藤幸平/集英社)

田原 どういう内容の本なのですか。

三宅 ギリシャ危機(※)の時の財務大臣が書いた本で、今のグローバルIT企業がクラウドサービスでもうけているさまが、中世の封建制のようだと批判をしています。

※2009年の政権交代をきっかけに表出したギリシャの経済危機。それまでの政権が隠ぺいしていた財政赤字が発覚し、国債価格が暴落、ユーロ圏の金融市場にまで波及。一時は「国家の破綻」が危ぶまれるほど深刻な事態に発展し、国民生活にもEUにも大きな混乱を招いた

 今、欧州委員会(※)が、アメリカのGARFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon.com、Microsoft)のビジネスを規制する動きもあるので、テーマとして気になっていたんです。ニュースを見ていると、「この本に書いてあったことだ」と思うことが多々あります。今回お聞きしてみたかったのですが、田原さんは、若い頃、どういう本を読まれていたのですか?

※EUの「内閣」に当たる行政執行機関。ベルギー・ブリュッセルに本部がある

 

自分の自我を通すか、立身出世するか

森鴎外の文学と影響

田原 『のらくろ』という漫画をよく読んでいましたよ。黒い犬が主人公で、兵役に取られるのですが、軍隊での生活が、時にはコミカルに、時には淡々と、描かれます。

※昭和初期の漫画を代表する漫画家、田河水泡(たがわ・すいほう)の代表作。昔見た、真っ黒な犬がその後どうなっているのかを考えたことがきっかけに生まれたという。設定が軍隊で、自らの徴兵時代の経験を反映。階級が上がるたびにタイトルが変わっていくことも特徴的で、社会現象となるほどの人気を博す。田河は落語作家としても活躍した

 あとは、「翼賛一家(よくさんいっか)」が印象に残っています。大政翼賛会(たいせいよくさんかい)(※1)のもとで繰り広げられたメディアミックスの下、「翼賛一家」というキャラクターを使った漫画や本が次々と生まれました(※2)。雑誌に連載していた4コマ漫画『翼賛一家大和(やまと)さん』は、『サザエさん』の作者・長谷川町子さんも作画に参加していましたよ。

※1 1940年10月、近衛文麿を中心とする新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ、産業報国会・大日本婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたって統制した(三省堂『大辞林 第三版』より)

※2 戦時下に大政翼賛会が主導して生み出したキャラクター「翼賛一家」は、複数の作者によって、多くの新聞や雑誌に漫画が連載された。また、小説、レコード、ラジオドラマにも展開し、国策メディアミックスとして大衆の内面の動員に活用された

三宅 戦争が終わると、当時の書店に並ぶ本も変化しましたか?

田原 教師の言葉と同じように、ガラリと変わりましたよ。戦争なんて間違いだった、と。あと、小説では森鴎外(1862?1922)がとても好きでしたね。大学の卒業論文も森鴎外について書きました。

三宅 森鴎外のどこに惹かれたのですか?

田原 森鴎外は、軍医、つまり体制側の医師でありながら、同時に、自由に発言する作家でもありました。その生き方が斬新と思ったのです。作家として容赦なく体制批判をしながら、自分は体制の中にい続けた。これは稀有なことです。

三宅 森鴎外は質実剛健な文体のイメージがありますが、一方で、ガーデニングが好きだったり、繊細な一面もあったといいますよね。鴎外の娘の随筆にも、父としての鴎外がよく描かれています。

同席していた田原氏の三女 私たちが幼いころ、母が闘病中だったので、田原が休日のときはよく食事を作ってくれていました。「鴎外も家のことをよくやっていたみたいだよ」と言っていたのを覚えています。

三宅 田原さんの世代で、家のこともされているのは、当時として珍しかったのではないですか。

田原 今も朝食は自分で作っています。(※)

※参考:YouTube「田原総一朗 伝説の朝食 2025年正月編」 

三宅 鴎外の小説『舞姫(まいひめ)』(※)は、自分の欲求を通してエリスと暮らすか、それとも、立身出世を選んで帰国するか、という選択を迫られる物語ですね。

※1890年「国民之友」に発表。若き官吏太田豊太郎とドイツの踊り子エリスとの悲恋を通して、日本の現実の厚い壁に屈する近代知識人の苦悩を描く(三省堂『大辞林 第三版』より)

田原 鴎外自体は、最後まで作家として言いたいことを言うという意味では自我も通し、かつ、立身出世も捨てませんでした。自分の自我を通すか、社会のほうを向いて立身出世するかというテーマは、三宅さんの著書でも書かれていますね。

三宅 著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の第1章に書いた主題にも通じる話だと思います。

 

全身全霊で働くのをやめよう

田原総一朗は「元祖半身」?

 

田原 本の中で、「全身全霊で働くことをやめよう」「半身(はんみ)でいい」と提案されていますね。新自由主義(※)によって、全身全霊で働きたくなるように駆り立てられてしまっている。自身を戦わせ続け、結果、疲労する。だから働きながら本が読めなくなるんだと。

※政府の積極的な民間介入に反対し、資本主義下の自由競争秩序を重んじる立場および考え方。自由主義的社会では、国家による規制が緩和され、福祉・公共サービスは縮小、企業間の競争が激しくなる

僕はこの主張に衝撃を受けたんです。僕自身はずっと、「全身全霊で働くことは素晴らしい」「全身全霊で働ける仕事を見つけることこそが教育の目的だ」、そう思ってきたからです。

三宅 高度経済成長期はそれでよかったのかもしれません。その時代は「専業主婦」というあり方が一般的だったので、家のことは母親や妻がしてくれ、男性は仕事に全身全霊で打ち込むことができました。

 でも、共働きが一般的になると、家事も育児も仕事も、男性・女性区別なく全部する必要がある。時代は変わっているのに、会社は依然として高度成長期と同じ「全身全霊」の働き方を求める。それでは、子育てする時間はもちろん、本を読む時間がないのも当然です。

 共働きが当たり前になったのであれば、その分、ひとりひとりが会社に充てる時間やエネルギーを減らすというのは、自然なことだと思います。

田原 「全身全霊」を言われてきた僕の世代にとって、とても新鮮な考えです。ただ、「おもしろいかどうか」という点では、「半身」で何かをやるというのはつまらなくないでしょうか。何かに一生懸命取り組むほうが、おもしろいと思うのですが、三宅さんはどう思いますか。

三宅 「一生懸命に半身をやる」というのはどうでしょうか。たしかに全身全霊のほうが楽しいですし、集中して取り組みやすい一面があるのは、真実だと思います。もちろん、何かに全身全霊を傾けたほうがいいタイミングは、人生のある時期にやってきます。でもそれはあくまで一時期でいいはずです。

「半身を認めない、中途半端だ」という考えが社会を覆っている。それでは当然、共働きになれば子育てをする時間もなくなってしまう。現状、日本は人口が減少してきています。

「全身全霊」というのは、誰かのサポートがあってこそ、可能なことなんです。現代において、誰かに全面的にサポートしてもらえる人は、よほど恵まれている人です。

 一人一人が仕事をして、家事をこなして、趣味を楽しむのが当たり前の社会であれば、多くの人は「半身」のほうが生きやすいのではないでしょうか。

 全身全霊で打ち込むのではなく、半身で取り組むことで、心身の健康を損なう人も減り、子育ての時間も増え、人口も増え、労働人口も確保できる。結果、日本経済にとっても大きなプラスになるのではないかと思うのです。

田原 三宅さんは、多くの本を書いていますが、本を書く仕事は「全身全霊」ではないでしょうか。

三宅 本を読むことが好きで、一人で本を読んだり、文を書いたりしている時間が、一番楽しいんです。ですので、こう言うと語弊があるかもしれませんが、本を書くのは趣味に近いかもしれません(笑)。

田原 そういうことですか。

三宅 田原さんも先ほど、仕事が趣味とおっしゃっていましたね。会社で出世を選ばずに独立した。国会議員や組織の重役になることへの誘いも断り続けた。もしかしたら、組織に対して「半身」だったのかもしれませんね。

田原 たしかに、組織に対しては「全身全霊」ではなかったかもしれません。ただ、フリーランスの仕事は「全身全霊」で取り組んでいるので、そこは「半身」ではないと思います。

三宅 テレビに出演し、新聞に論評を書いて、本を出版して、YouTubeの動画も配信して、本や新聞も読んで、そして家庭のこともなさって……、多くの場所で活動されています。それはつまるところ、「半身」と言ってもよいのではないでしょうか。

田原 なるほど、そういう意味では、僕は「戦後世代の元祖半身」かもしれないですね(笑)。指摘されて初めて気づきました。

三宅 日本では、「ひとつのことだけ」をとことんやる「職人気質」が美徳として尊ばれてきました。それはそれでもちろん素晴らしいことです。でも、それに対し、同時並行でいろいろなことをやっていると「中途半端」と言われてしまうことに違和感がある。

 仕事も家事も趣味も、それぞれ「半身」でやっている人が、もっと増えてもいいのではないか。そうすれば、もしかしたら世の中はもっと良くなるんじゃないか。そう思って、「『中途半端』と言うのをやめよう」と、いろいろなところで発信しているんです。

 

 

なぜ自己啓発本や

ビジネス書が売れるのか?

 

田原 最近の本や記事を見ていて思うのは、不安を煽(あお)るような内容のものが多い。

「トランプによる関税で日本は大変なことになる!」のように煽るほうが注目が集まって、本や雑誌が売れたり、記事が読まれたりするので、「では関税政策はどうあるべきか」「私たちはどう対策をすべきか」といった、冷静な議論をしようとしません。

三宅 みんな、議論ではなく批判をしたがりますね。SNSでも、とにかくどちらが悪者なのかだけをわかりやすく決めたがる傾向があります。「なぜそうなったか」という原因を追求しない。

 一方で、現代は、正解がないようなことを伝えるのが、難しいとよく思います。例えば、私は「文芸評論」というジャンルでものを書いていますが、批評や評論のジャンルでは、答えのない議論を長い時間かけてするものです。田原さんがずっと続けてこられた「朝まで生テレビ!」もそうですよね。

大学など学生のうちはそういうことができましたが、社会に出るとみんな時間がなくなり、議論をしている暇もないし、したくないし、聞きたくないという雰囲気があります。

田原 いろんな議論があり、答えがあるものばかりではないと思います。3日でも4日でもかけて、議論すればいい。そこで答えが出なくても、議論を継続すればいい。

【三宅さん2】
三宅 でも現代では、あたかも答えがあるかのようにしゃべる癖を、教育や社会が人々に身につけさせてきたのではと思います。

田原 何事にも正解があるかのように教育されてきたので、「答えがない」ということを理解するのが難しい。さらに時間もないとなると、考えても仕方がないと思ってしまうのではないか、みんな、考えなくなってしまうのではないかと、心配になります。

 まじめな議論は売れないので、メディアは日本の苦境ばかり書き立てる。それに踊らされて議論を放棄する。悪循環です。

三宅 歴史的に見ても、楽観的な本が売れる時代と、悲観的な本が売れる時代があるようです。例えば大正時代は、社会不安を反映したような、暗い、内省的な本が売れていました。

『本の百年史―ベスト・セラーの今昔』(著者:瀬沼茂樹、出版ニュース社)によれば、大正時代の3大ベストセラーは、倉田百三『出家とその弟子』、島田清次郎『地上』、賀川豊彦『死線を越えて』の3冊です。いずれも、生活の貧しさや社会不安への内省をテーマとしたもので、とても暗い内容です。

田原 第2次世界大戦後も、戦争が大失敗だったとわかり、悲観論が好まれるようになりました。1970?80年代、高度成長期で日本経済が世界のトップとなると、この風潮は一転します。

 これを受けて、アメリカの当時のレーガン大統領は、プラザ合意(※)をはじめ、円高誘導と日本の輸出規制、内需拡大や規制緩和の要求を突きつけるなどして、日本経済をつぶしにかかりました。そして、バブルがはじけ、日本は長い経済低迷期に入っていきました。ここから再びメディアの悲観論が隆盛していきます。

※1985年にニューヨークのプラザホテルで開かれた、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本の5カ国の蔵相会議。1980年代初頭のアメリカは、高いインフレ率と貿易赤字に悩まされていた。ドル高を是正し、為替レートの安定化のため、各国が外国為替市場において協調介入(ドルの価値の引き下げ)に乗り出すことを合意した。アメリカはドル安を実現することで輸出を促進し、貿易赤字を縮小することをめざした

三宅 たしかに本のベストセラーを見ても、自己啓発本やビジネス書が売れるようになったのが1990年代以降です。バブル崩壊と新自由主義の影響で、「会社に頼らず、自己責任で、個人ががんばらなければならない」と思わされるようになった結果、そうした本が売れるようになった。

田原 2001年、それまでの田中角栄路線を真っ向から批判した小泉純一郎氏が総理大臣に就任し、自民党の派閥をつぶしにかかった。彼らも新自由主義と呼ばれました。

三宅 それまでの「大企業に入れば安泰だ」「企業に生活を守ってもらえる」という考えが通用しなくなり、急に個人でがんばる必要が出てきたんですね。

田原 社会人は、そんなことはそれまで教えられてこなかったのに、大変なことです。

三宅 企業も雇用もいつどうなるかわからない。仕事もがんばりながら、転職のこともつねに考えなければならなくなった。それで、自己啓発本やビジネス書が売れるようになってきた。

田原 急に「個」が求められ始めた。日本人は「みんなの言うことに同調していれば安心だ」という人が多いので、個を持つこと、主体性を持つことは、非常に難しいものです。主体性を持つためにはどうすればいいのでしょう。

 

 

主体性がないことの一番の問題は

主体性を持っている人を批判したくなってしまうこと


三宅 私は「自分の言葉を作ること」だと思います。

田原 三宅さんは、著書『「好き」を言語化する技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)でも、自分の言葉で書くことを推奨していますね。

三宅 主体性がないことの一番の問題は、「主体性を持っている人を批判したくなってしまうこと」だと思います。

 例えば、映画を見た後、まずはSNSで他人の感想を見てから、それに沿うような「自分の感想」を考える。そういう人が今はとても多いんです。政治について考えるときも、まずはほかの人がどう思っているのかを先に知った後に、「自分の考え」を持とうとする。空気を読みつつ、ものを言っていることがとても多い。それが現代日本の状況です。自分が主体的に考えるのではなく、ほかの大多数のまねをしようとするんです。まさに、田原さんが今、指摘された「みんなの言うことに同調していれば安心だ」ですね。

こうした風潮は私もとても危ういと思います。自分が同調圧力のままにみんなと同じように生きていると、「そうではない人」に怒りをぶつけたくなるのです。

 みんなと違う行動をするのは大変かもしれませんが、自分の言葉を持つこと自体は、本来はそんなに難しくないと思うんです。私は小さいころから日記を書くのが趣味で、それによって自分の主体性が養われてきたと感じています。行動よりも先に言葉がある。

 映画の感想を話したり、本の感想を書いたり、ほかの人がどう思っているかを調べる前に、自分の考えていることを言葉にしてみる。そこから主体性は生まれてくるはずです。

 それにしても、日本ではなぜ同調圧力がこんなに強いのでしょうか。

田原 戦後から高度経済成長期にかけては、経済を成長させるため、みんなが同じ方向を向いて協力する必要があった。だから同調圧力というのができあがっていた。それに日本の会社では、みんなが考えているのと同じ論調の人が、偉くなっていきますよね。

三宅 そういう傾向が行き過ぎて、リーダーが生まれない社会になってしまっているのではないでしょうか。とはいえ、大勢の協力を得ることと自分の言葉を持つこと、両者のバランスをどう取ればいいのかは、たしかに難しい問題だと思います。会社に心を奪われないようにしたくても、会社に属していると、知らず知らずに自分の言葉を失い、心を奪われてしまう。

田原 自分で考えて話すのは難しいですが、他人が言っていることを受け売りで話すのは簡単ですからね。そうなると、自分の言葉は失われてしまう。

三宅 ちなみに、田原さんが自分の言葉を持っていると思う作家は誰ですか。

田原 五木寛之さんですね。三島由紀夫(1925-1970)は「自分自身の言葉を持て」と強く言っていましたね。

 

新時代の「言論の自由」

同調圧力に反することも言える社会にしよう

三宅 主体性を持つことに躊躇している人は、まず「自分の考えていることを言っていいんだ」と思ってほしいんです。

 私もやっぱり昔は、人と違うことを発言するのに勇気が必要でした。中学生や高校生のときも、人と違うことは言ってはいけないような雰囲気があった。

 ですから、まずは「自分の考えていることを言っていいんだよ」「自分の感情を言葉にしていいんだよ」と伝えていく。そうした雰囲気を醸成していく。それが、私たちにできる、みんなが主体性を獲得していくための第一歩かと思っています。

田原 僕も、考えていることを言葉にするというのは、ずっとやってきませんでした。

三宅 そうなんですか?

田原 そういう発想がなかったんです。中学生や高校生のときは作家になりたかったのですが、「文才」のある人だけが、自分で言葉を生み出せる人間であり、作家になれるものだと思っていた。そして、いろいろな本を読んでいるうちに、自分には文才がないと自覚しました(笑)。作家になるのをあきらめ、ジャーナリストになりました。

三宅 ニュースやテレビでたくさん発言されていて、多くの本も書かれている。それなのに、それらの言葉は、ご自分の言葉ではないと思っていらっしゃるんですか。

田原 「自分の言葉」って何でしょうね。自分で話しているつもりでも、本で知ったり、取材で聞いたりした言葉に、大きく影響を受けている。果たしてそれが自分の言葉と言っていいものかどうかは、いまだにわかりません。僕は発想力がないんです。

 でも、世間で言われていることを疑い、世の大勢と逆の視点でものを見る。それが僕の仕事のやり方です。その方法がジャーナリストの仕事にはとても役立って、ありがたいことに注目されてきました。それでどうにかこれまでやってきたんですよ(笑)。

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三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 (集英社)
三宅 いつその術を身につけたんですか。

田原 テレビ局をクビになったときです。電通の批判をして結果的にクビになりましたが、それで逆に世間に注目され、いろいろなところから声がかかるようになりました。そのときに「自分の考えは間違いではなかった」と感じ、体制や主流とされる意見とは違うことも、どんどん言うようになりました。

三宅 冒頭でもおっしゃっていましたが、会社の中で偉くなりたいとは思わなかったんですか。

田原 まったく思いませんでした。会社の意見に従っていれば偉くなれるかもしれませんが、そうではない生き方もあります。社会を良くしたいと思ったんですね。そのために言論の自由が必要だとも思っていました。忖度(そんたく)なく、言うべきことは言う。

三宅 それがまさに「自分の言葉」なのではないでしょうか。言論の自由が大事なのはなぜですか。

田原 言論の自由があれば、つまり、言いたいことを言える社会になれば、世の中は必ず良くなるはずだからです。

三宅 同感です。言論が規制されないようにすることは当然大事ですし、それと同時に、同調圧力に反することを言ってもいい社会にしていく。これもひとつの「言論の自由」だと思っています。

田原 その通りですね。

三宅 今日はお話できて楽しかったです。ありがとうございました。

田原 こちらこそ、ありがとうございました。これからもどんどん「半身」で、執筆やご発言を続けてください。

 

 


田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年からフリー。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」受賞。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『さらば総理』(朝日新聞出版)、『人生は天国か、それとも地獄か』(佐藤優氏との共著、白秋社)、『全身ジャーナリスト』(集英社)など。2023年1月、YouTube「田原総一朗チャンネル」を開設。

 

 

三宅香帆(みやけ・かほ)
文芸評論家。1994年、高知県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了、後期課程中退(専門は萬葉集)。リクルートを経て独立。2017年大学院在学中に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)で著作家としてデビュー。主に文芸評論、社会批評などの分野で幅広く活動。著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社)は、「第17回オリコン年間本ランキング2024」の新書部門においても年間1位を記録するなど、16万部のベストセラーに。『「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等著書多数。

 

 

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