マイケル・サンデル氏「報酬で社会貢献度は測れない」

 

 

トランプ米次期大統領就任を前に、米国の哲学者マイケル・サンデル氏がフランスの経済学者トマ・ピケティ氏との対談本「平等について、いま話したいこと」(岡本麻左子訳、早川書房)を日米同時刊行した。格差と分断を埋め、退潮するリベラル派や民主主義の復権のために何をすべきか。サンデル氏に聞いた。

――2017年の第1次トランプ政権誕生の背景には、エリートに対する労働者の屈辱感があったと指摘していた。この4年間の民主党政権は、労働者に向き合えなかったのか。

「バイデン氏は問題に対処しようとした。トランプ氏を破った20年の選挙運動で、労働者の尊厳について従来の民主党より多く語り、労働者側に立つ大統領になると約束した。就任後、インフラやクリーンエネルギーへの公共投資に関する重要な法律を制定したが、労働者雇用への好影響はすぐには広がらなかった」

トランプ氏に選挙で破れたバイデン大統領は新自由主義からの離脱を明言しなかった=ロイター

「さらに指摘すれば、バイデン氏は民主、共和両党でここ数十年支配的な新自由主義や能力主義からの離脱を明言しなかった。公共投資の拡大が労働者の尊厳を高めると、国民へ説得的に語ることも得意ではなかった。対照的なのはフランクリン・ルーズベルト大統領だ。不況に対処し、労働者を守る法律を作り『ニューディール』という誰でも理解できる言葉で新しい哲学を表した」

――人々の貢献を適切に評価し、労働の尊厳を高めるのに何が必要か。

「報酬が貢献の尺度だという思い込みを払拭すべきだ。ヘッジファンドマネジャーやウォール街の銀行家が高校教師や看護師の5000倍の貢献をしていると言う人はまずいないが、現に極端な報酬格差がある。人々の社会への貢献をいかに測るか道徳的に判断すべきところ、私たちは市場に委ねてしまっている」

「新型コロナ禍で、私たちは倉庫作業員、食料品店の店員、介護士、保育士、配達員らを『エッセンシャルワーカー』と称賛した。社会や経済、公共の利益への貢献を測る尺度を巡る議論のきっかけになる事象だったが、議論は起きなかった」

「人々は意見の相違を恐れるあまり、民主的熟議を躊躇(ちゅうちょ)している。子育てなど家庭内の無償労働を含め、真に価値ある貢献とは何か、各人の役割にどう敬意を払うべきか、広範な論議が必要だ」

――議論を始めるにはどうすればいいか。

「ケア労働に目を向けたい。テクノロジーの時代、人間の経済活動においてそれが大きな比重を占める。医療や教育、育児、介護におよぶケアの領域においてはテクノロジーが人間の貢献に取って代わることはないからだ。先進国ではケア経済に公的資金や民間資金をどう配分するか議論されている。純粋に経済的な議論にみえるが、背景には価値観の問題がある。高齢化が進む社会で子どもからお年寄りまでをいかに支えるか、新たな社会契約が求められる」

ピケティ氏と対談するサンデル氏

――能力主義の是正のため、大学入試において、一定の実力がある入学希望者の「くじ引き」選抜を提案する。他の領域にも適用できるか。

「ピケティ氏とも議論したが、二院制の議会のうち一方の議員をくじ引きで選んではどうか。勝者の傲慢を戒め、敗者の屈辱感を軽くするためでもあり、富やコネのない人が政府のために働く機会にもなる。米国では裁判の陪審員を抽選で選ぶ。有罪か無罪か、市民に決める能力があるならば、立法機関の一部の役割も担えると考える」

――リベラル派(左派)政党が労働者の支持を失いつつあるのは世界的傾向に見える。

「米共和党のレーガン、英保守党のサッチャー両政権は市場を重視した。両国とも中道左派政党政権に交代後、クリントン氏やブレア氏は市場信仰に異を唱えなかった。不平等の拡大に苦しむ労働者は疎外され、さらに悪いことにこれら政党のエリートは大学の学位がない人々を見下した。『不平等是正のため学位を取得せよ』『努力すれば成功できる』と。左派政党は新自由主義、能力主義から脱し労働の尊厳を取り戻すべきだ」

「格差と不平等の拡大が市民社会をむしばんでいる。裕福な人とそうでない人が分断した生活を営むことがますます増えている。子を別の学校に通わせ、住む場所も違い、別々に働き買い物する。一方で階級が混ざりあう公共施設は減っていく」

「自治体のプール、公園、公立学校、文化施設、図書館といった公共施設の価値は、そのサービスだけにとどまらない。民主主義が求めるのは完全な平等ではなく、異なる背景を持つ人々が混ざりあうこと。公共空間は、私たちが連帯感を築き、市民社会で互いに責任を負う存在であることを思い起こさせる。その価値を再認識すべきだろう」

 

 


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梶原 誠   日本経済新聞社 本社コメンテーター コメントメニュー

 ひとこと解説

2008年のリーマン危機の後、ゴールドマン・サックスのロイド・ブランクファインCEOと激論になりました。「ウォール街は貧困を生んだ?」と聞いた時です。市場の危機で大勢の市民が路頭に迷ったからですが、激しい怒りを買いました。「我々は貧困から人々を救った。市場の力がなければインドは貧困のままだ!」と。ただ、こうも言いました。「格差を作ったのは認める」。ウォール街は生き残って本分を果たすためにも格差の縮小に貢献すべきです。中間層以下に株を広める、インパクト投資を支える。それでも補えない市場の限界を埋めるのが政府です。富裕層への課税強化を求めた富豪の投資家、ウォーレン・バフェット氏はこの立場です。

 

 

 

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