時論・創論・複眼

 

新しい学校のかたちとは ミネルバ・神山高専・風越学園

 

坂江裕美氏/五十棲浩二氏/本城慎之介氏


タブレット端末を使った授業風景(記事中の学校ではありません)

日本の学校制度の硬直化が指摘されて久しい。受験目的のような高校までの教育、世界的な魅力や競争力に欠ける大学も多い。急速にテクノロジーが進化する現代社会にどんな人材を送り出せるのか。新風を吹きこもうと、学びの場づくりに取り組むフロントランナーたちに聞いた。

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国を超えて課題解決 ミネルバジャパン代表理事 坂江裕美氏

さかえ・ひろみ 慶大卒、02年三井物産入社。営業を中心に19年間勤務した後、オンライン英会話のレアジョブなどを経て23年5月から現職

2014年開校のミネルバ大は米国の大学だが、学生は世界7都市を移動しながら学ぶ。約100カ国・地域の学生が集まる国際性や完全オンラインの授業、入試の高い倍率なども注目されてきた。

25年から訪問地に日本が加わる。2年生の約150人が9月に来日し、約1年滞在する予定だ。日本支部として、包括連携した日本財団の協力を得て教育プログラムの準備を進めている。学生の期待は大きい。

私は三井物産で教育関連の部署にいた時に「最先端の教育をしている大学がある」と聞き、ミネルバ大を知った。興味を持ったことは自ら体験してみる主義なので大学院に入学し、学習の動機づけなどを研究した。学際的な学びがとても面白かった。

ミネルバ大は認知科学に基づくカリキュラムを組んでいる。批判的思考など80種類に整理した能力を授業で身につけ、さらに授業外の様々な場面で生かすことを重ねる。自己効用感が高まり、次の一歩を踏み出しやすくなる。

様々な事象を体系的にとらえるシステム思考も重視する。社会は複雑系で容易には変えられない。一方で自分も社会の一因子であり、自ら行動することで変化が起きる可能性があると早い段階で教えている。つくりたい未来を設定し、それに向けて行動を変える人を育てたいのだ。

私も8歳まで住んだ米国の小学校で、自由な表現や自発性を重視するモンテッソーリ教育を受けた。自分が立てた将来の目標に向かってその日何をするか。先生と毎日話し合い、自分で決めることの大切さを学んだ。

帰国して入学した日本の小学校では苦労した。宿題でも何でも「なぜ?」と理由を聞くような子だったので、先生も大変だったと思う。

大学では国際学生交流のプログラム「日米学生会議」に参加し「社会貢献と利潤追求が矛盾しない世界をつくるには」というテーマを一夏、仲間と議論したことがある。そこで「いつか教育に関わりたい」との思いが育った。

教育で大切だと思うのは第一に自主性と行動力、第二に小さくても一歩を踏み出すことの大切さ、第三に日本の強みだ。謙虚さ、現場を大事にするマネジメント、近江商人の商道徳「三方よし」などは今でも有効だと思う。

世界の模範となる魅力がある一方で社会課題も多い日本は非常に豊かな学びの場だ。ミネルバ生には京都、広島、沖縄のほか和歌山県や東北・四国地方などを訪れてもらうことを検討している。

持続可能な農業、災害とエネルギー、人口減、世界平和など学べるテーマは多い。学生は研究対象の地域でデータを取ったり住民にインタビューしたりする。ローカルに刺さり込んでいく中でグローバルな世界が見え、地に足の着いた最適解が見つかる。そんな共創関係を学生と日本の人々の間に生みたい。

学生の母国の課題解決に日本の視点が生かされることにもなる。ミネルバの学生と未来をつくるワクワク感を共有してもらえたらうれしい。

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企業連携で起業家を 神山まるごと高専校長 五十棲浩二氏

いそずみ・こうじ 01年経済産業省に入省、ITや環境政策を立案。聖光学院の校長補佐などを経て同省教育産業室長。24年9月から現職

当校は人口5000人足らずの徳島県神山町で2023年春に開校した。5年間の全寮制で1学年は40人ほど。企業から集めた100億円規模の基金を運用し、年200万円の学費は全員無償だ。約10倍の難関を突破した男女ほぼ半々の学生たちがテクノロジーとデザイン、起業家精神をみっちりと学ぶ。

IT(情報技術)企業のSansanを創業した寺田親弘社長が、拠点を置く同町に学校をつくろうと16年に発案し実現させた。高専の新設は19年ぶりだ。将来の起業家育成を掲げる当校自体がスタートアップであり、日々発見があり、やりがいを感じる。学生も同じ思いだろう。

私は経済産業省から官民交流で母校の中高一貫校、聖光学院の校長補佐などを務めた。経産省に復帰して、日本のデジタル教育の旗振り役となる教育産業室を立ち上げ、社会全体で次世代の人材を育てる「共助」の充実を訴える報告書などをまとめた。

従来の教育制度は税金が財源の「公助」が中心で、公平や平等が重視された。一方で各家庭の「自助」任せでは、受けられる教育水準に差が出てしまう。世の中が、若者の個性や能力を伸ばす教育を求める中、解決策の一つが共助にあると考えた。

そんな報告書をまとめるさなか、神山高専の寺田理事長から「校長やりませんか」と誘いを受けた。突然の話だったが、この機会を逃せば後悔すると直感し快諾した。

寺田氏は学校創立のために数百回の企業行脚を重ね、設立の寄付金20億円余りと、学費の無償化に必要な拠出金100億円を集めていた。多くの企業を巻き込んだ、まさに共助のモデルといえる。

「モノをつくる力で、コトを起こす」が当校の理念だ。16?20歳という多感で伸びしろだらけの5年間を、自分の将来のための勉強や体験に充てられる意味は大きい。大学受験の否定ではなく、高専だからこそできる教育の価値がもっと注目されていい。

ソニーグループやリコーなど10社余りの企業との連携授業も売り物だ。星野リゾートの星野佳路代表ら著名経営者が隔週で来校し、たき火を囲んで語り合う講座もある。彼らの失敗談を間近で聞いて笑い合える機会など、世の中にそうはない。

地域との触れ合いも大切だ。学生は地元でとれた食材を食べ、季節の祭りに参加する。人手不足のコンビニや飲食店でアルバイトをし、農作業を手伝う。そもそも「神山まるごと高専」の名前には、地域一体の意味がある。

まだ1、2期生を合わせて80人余りの小さな所帯ではあるが、彼らの能力と行動力には本当に驚かされる。学校への外泊届などの手続きをこなすアプリを自発的に開発したり、水中ドローンの研究で徳島大学と連携したり、世界的なロボット競技会に挑んだりしている。

失敗を恐れずに挑戦する。私たちはそれを完成前の試作品に例えて「β(ベータ)メンタリティー」と呼んでいる。新しい学校づくりには、こうした発想もあっていい。

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失敗で人生の「根」育つ 軽井沢風越学園理事長 本城慎之介氏

ほんじょう・しんのすけ 慶大の院生時代に三木谷浩史氏と出会い、楽天グループ共同創業者に。05年退職。公立中学の校長などを経て20年に学園開校

学ぶとはどういうことだろうか。知識を与えるのは実は楽なことだ。先生が黒板の前で子供たちに同じことを教える時代は終わった。では、大人の役割はなんだろう。

当学園では学びの形は様々だ。例えば音をテーマにすると同じ教室で、あるグループは糸電話をつくって遊び、別の子たちは波について本で調べる。大人の役割で大事なのは「これって面白そうだよ」「いろいろな道筋があるよ」と伝え、子供の好奇心に火がつくように関わることだ。

学びとは探究であり、暗い洞窟に火をかざして進んでいくプロセスだ。最初は「この先に何があるのだろう」と好奇心に駆り立てられ、人はたいまつを手に取り、暗闇を照らす。実際に洞窟に入ると転んだりつまずいたりする。それが経験や技術として積み重なる。そんな過程を通じて知識が身体化される。

知識を与えて定着させることを重視する授業が、これからも続いていいのだろうか。「学びのコントローラー」を子供に委ねると、子供は好奇心の火を照らしながら暗闇を歩き始める。そうやってゆっくり、じっくり学びの火を育てたいと考えている。

実は、2008年ごろまでは全く異なるタイプの学校を設立しようとしていた。全寮制の中高一貫エリート校だ。創業メンバーとして楽天の経営に携わったこともあり、リーダーを育てようと考えた。

そんな学校の構想を持って軽井沢への移住を計画していたのだが、考え方を百八十度変えられる出会いがあった。軽井沢にある「森のようちえん ぴっぴ」だ。

自分の子供を入園させようと見学に行った時のことだ。3歳の男の子が手袋をたき火の近くに持ってきた。「危ないなぁ」と思っていたらやっぱり焦がしてしまった。

その一部始終を先生がじっと見ている。なぜ止めないのか。不思議そうに見ていた私に、その先生は「この前は燃やしてしまったんですよ」と言った。失敗を見守り、子供の成長を見届けていたのだ。

ガツンと殴られた気持ちになった。こんな風に安心して失敗できる環境が子供を育てるのだと。それに比べて私が構想していた学校はどうか。

成功を重ねてリーダーを育てると言えば聞こえは良い。でも、それって高校3年で「同じ色、同じ形、同じ甘さのリンゴが実る」工場みたいな学校じゃないか。それがやりたいことなのか。私は枝の先に実るリンゴだけ見ていた。大事なのは土の下の根っこだ。そこさえしっかりしていればどんな風雨にも耐え、その木なりのリンゴが実るはずだ。

では、人はどのように自分の根を育てていくのだろう。そう考え、幼稚園で7年間働かせてもらった。こうした曲折をへて、子供が「わたしとみらいをつくる」ことを大切にする風越学園ができた。

幼小中の12年で子供たちは挑戦と失敗を繰り返し、どんな自分になるかを考えてもらいたい。わたしは「……」になる。そのカギカッコを探究することこそが学びだ。今ではこんなふうに考えて日々、子供たちと関わっている。

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〈アンカー〉学びの民主化、第2章へ

古今東西を問わず「学校」は学びを民主化し、人類の叡智(えいち)の進歩に大きく貢献してきた。日本では明治5年(1872年)に学制が公布され、大衆が学ぶ機会を得たことはこの国の発展を大きく後押ししてきた。それから150年あまり過ぎた。

今回、登場する3つの学校には共通項がある。創設者がいずれもIT分野の起業家という点だ。目指す理想の学校のかたちはひとつではないが、画一的になった学びの場を変えようという点でも通じている。

教育の「門外漢」たちによる学校の再定義は、学びの選択肢を広げることだと言い換えられる。いわば民主化の第2章だ。

人生の設計図はそれぞれのはずだ。新たな視点が問うのは、学校という人生のサポート役のあるべきかたちだ。

 

 

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