講演ダイジェスト 宝蔵寺お会式(24/10/27)
佛は常に私たちと共に
京都市 妙教寺副住職 秋山教暁師
日蓮が慈悲廣大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。
無間地獄の道をふさぎぬ。
「報恩抄」 (御書全集329頁)
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宝蔵寺お会式、おめでとうございます。在勤者の秀研師も教師補任式を無事に済まされて、皆様が安心して信心できる環境を、素晴らしく思います。
さて、お会式は日蓮大聖人が滅不滅の相を示されました。即ち三世常住のお姿を示されましたことを、お祝い申し上げるのであります。仏は今だけを救って下さるのではなく、過去、未来にわたって救って下さるということです。それは一切衆生の成仏の眼を開くことであり、未来に堕ちる地獄への道を塞いでくれるのです。ただし余念なく南無妙法蓮華経を唱えていくことが肝要になります。
今年の夏の暑いことには参りました。冬はどうなるんかな‥とまで思います。のみならず、能登では大地震に見舞われ、豪雨被害にもあいました。
人生は一寸先に何があるかわかりません。楽しいことばかりの人生は存在しません。真面目に生きている方も心の病、脳梗塞や突然の事故などもあれば、自然災害もある。自分だけでなくとも、親や孫の不幸にさいなまれる時もあります。
では大聖人はどうかというと、草庵を焼かれ、闇討ちに遭い、首を切られそうになり、佐渡に流罪される。人生でこれほどの迫害に遭った方はいらっしゃいません。
それでも大聖人は天の加護がないのは過去世の業であり、未来に受ける業を今軽く受けているのであると断言され、衆生の成仏のために邁進されました。
佐渡流罪の時には信徒から赦免運動の動きが起きますが、「赦免されないのは天の計らいであるから辞めよ」と運動を止められました。つまり、どんな環境も誰のせいにもせず受け止め、受け入れられたと思います。
私たちは成仏が確約されているのですから、あたふたせず、受け止めることが肝心なのであります。様々な環境を受け入れ、信心していくとき、仏からの智慧をいただき、天の加護があるのです。
「苦楽ともに南無妙法蓮華経」と仰せのように、楽しいは楽しい、苦しいは苦しいと受け止めてこそ、しっかりと地に足のついた人生になると思います。
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釈尊の時代、ある豪族に男の子と女の子の2人の子がいました。
男の子は百慢の子でありました¶しかし、ある日突然、死んでしまいます。豪族は悲しみにうちひしがれ、毎日息子の骨を抱いて泣く日々でした。誰がどう話しても動きません。
娘は釈尊嘗に相談し、一計を案じ℃ます。娘は死んだ牛の前で涙を流し、牛の身体をさすり何日も動きません。しまいには牛から虫が湧いてきました。近所で噂が広まり、それを聞いた父親が飛んできました。父親は娘に「何をバカなことをしているのだ、悲しんでも何をしても、牛は生き返らない。お前はどうしたというのだ」と叱ります。すると娘は父に、「あなたも同じことをしているのですよ」といい、ついに父親が眼をさましたという話があります。
釈尊はこのように、衆生に自ら悟らせようとします。それに対して大聖人はどうかと申しますと、亡くなった子供の親に対し、「あぁ今頃はっと立派な子になっていたことでしょう。それを思うと悲しくて涙が止まりません。子供は法華経で弔いを行いました。同じ法華経の種だから同じ法華経の国に生看れるにちがいない。その時に一緒に会いましょう。人の死については弟子に教えているのに、いざ大切な人が死ぬと、ほんとに死なのか、生き返らないのだろうかと思ってしまう」と仰せになられています。
即ち大聖人は釈尊のように「悟りなさい」というのではなく、「仏は常にあなたと一緒にいて苦難を乗り越える力をお貸しします」と仰っているのです。その魂が御本尊であります。私たちはどんなに苦しい時でも、御本尊を信じて邁進していただきますことをお願い申し上げ、説法に代えさせていただきます。本日は宝蔵寺お会式、おめでとうございました。