信仰歳々  時々に想う

 

妙法蓮華経の題目の中に

 

 

島根県・薬王寺住職 加藤 法研

 

人は煩悩に流されるみたいに生きています。その世界を此岸といい、煩悩に流されず、唯々仏様にゆだねて生きる世界を彼岸といいます。仏を求めるため、お彼岸の間に善根を重ねるなら菩提(覚りの境地)に至るとされています。

3月20日は彼岸会。ご先祖の追善供養を行うために、寺院参詣や墓参りをするこの習慣は日本の未来にも長く伝えていきたい行事だと思います。

前回、地獄の相にならないためのご教示を示しましたが、そこから生きているときの用心として精進すべきことをくみ取っていただけたと思います。では亡くなったあとはどうなるのか、どこに行くのだろうと考える人は大勢おられます。

日蓮大聖人が身延の草庵でお暮らしのときに、佐渡の老尼千日尼から金銭と海苔・若布・干飯に添えて書簡が届きました。それには「亡き夫阿仏房は今どうしているのでしょうか」というお伺いがありました。大聖人はその返事に 「多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候」と認めて返書されました。この宝塔の内とか東向きにという文字の中に、とても重要なことが含まれているのです。

宝塔とは、「法華経見宝塔品第十一」に説かれる多宝如来の宝塔で、大地の底から出現し虚空にとどまつた立派な塔です。菩薩の修行をしているときの多宝如来が誓ったことがあります。「私が成仏した後に亡くなったとしても法華経を説いている場所があるなら、どこであっても宝塔と一緒にそこへ出向き、法華経は素晴らしい。真実の教えだと誉め讃える」と。その誓いを実行するため、釈迦如来が法華経を説いている所に行き、地から涌き出て虚空にとどまり、宝塔の中から大音声で法華経は真実であると伝えたのです。そして「釈迦如来よ、どうぞ宝塔の内へお入りください」といって右側の上座へ釈尊を招き、自分は左の下座に移動し並んで座られました。

宝塔はどちらを向いているか。宝塔の中の釈迦如来と多宝如来はどちらを向いているかが、千日尼の亡き夫がいるところと関係してくるのです。

印度のことは不勉強ですが、法華経を読むと、釈尊は常に東方の日が昇る国に出現する末法の御本仏を待ち望んでいます。それから考えると宝塔は地から東向きで涌き出でて、宝塔の中の釈迦如来と多宝如来は東向きで並座され、「見宝塔品第十一」から「嘱累品第二十二」までは、虚空において東向きでの説法だったでしょう。

仏と弟子、あるいは仏界と九界は相対してこそ十界互具するのですから、仏界である釈迦多宝という二仏が向いている方向と同じ向きで弟子がいるはずはありません。諸菩薩やその他の弟子は仏と対面ですから、東から西を向き釈尊が説く法華経を聞いていることになります。

ここでまた、千日尼への書簡に戻りましょう。「宝塔の内に、東むきにをはす」ことから、東を向いでいる阿仏房は釈迦如来と多宝如来の間なのか、あるいは二仏の膝の前なのかと考えてしまいそうですが、阿仏房がおられるのは其処ではありません。

皆様方、御本尊の前に座り手を合わせて御本尊を拝してみてください。中央に、南無妙法蓮華経日蓮在御判と首題があります。南無の文字の向かって左に南無釈迦牟尼仏、そして右側に南無多宝如来と拝見できますね。この二仏は多宝塔の内で東向きです。

上行菩薩と無辺行菩薩が、弟子側の上座である右側で仏に向いています。浄行菩薩と安立行書薩が、弟子側の下座である左側で仏に向いています。この四菩薩を含め、大衆はすべて弟子ですから全員が東に背を向け西向きで仏に相対しているはずです。ここでもう一度、阿仏房がおられるところを考えてみましょう。東向きですから上行書薩以下大衆がおられるところでもないとなるとどこなのか。

この文章を読んで、「法華経の話を知っても死んだら何も分からない。法華経の意味を知っても何も変わらない。現実の暮らしに何の役に立つのか。仕事の役にもならない。それよりも今日の暮らしの方が現実的で、自分にとっては大事だ」と考える方もおられるでしょうが、もう少しだけ辛抱してください。

佐渡に住む阿仏房は、名前が示すとおり夫妻揃って念仏の強信者でした。鎌倉幕府より勘気を被り、佐渡に送られてきた大聖人を快く思っていなかったのですが、大聖人のご説法を聴聞したことで念仏に執着していた我が身を反省し、即座に夫婦共々念仏を捨て法華経を信じ、大聖人を敬いま心た。それにより心が安穏になり、唱題を続けて精進し妻の千日尼と共に大聖入にお給仕をされたのです。また大聖人が佐渡流罪を赦免になってからも、高齢にもかかわらず佐渡から3度にわたって身延の草庵を訪ね、ひと月にも及ぶご奉公をされています。

この法華経信心の功徳で、死去のあと阿仏房は宝塔、つまり御本尊のお題目の中におられるという意味のことを大聖人は認め、妻の千尼へ伝えました。尼の悦びは大きく、安心したことでしょう。

法華経の経文の上では、菩薩をはじめ大衆は全員が釈迦多宝の二仏の方へ向いて、釈迦如来から法華経を聴聞しています。大聖人は法華経が虚空で説かれたときの説相をかり、妙法蓮華経をご自身の内証として御本尊に顕されました。

その本尊のお相は釈迦多宝の二仏は南無妙法運筆経日蓮花押という仏の脇士として左右に座し、上行菩薩・無辺行書薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四大菩薩をはじめ、その他の大衆もすべて妙法蓮華経の題目の中で全員が東向きにおられると思います。阿仏房は諸仏菩薩方と一緒に妙法蓮華経となり東向きでおられるということです。

皆様方には死んだらどうなるのかと不安に思うのではなく、南無妙法蓮華経という仏になるのだと心を決定しいつでもどこでも何をしていても、お題目を唱えで益々の精進をしましょう。

(寺報含漱)

 

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