散歩道 135

 

大乗仏教非仏説

 

熱き仏教愛

 

大蓮寺副住職 中原寿衛

仏教関連で興味深い本がありましたので紹介します。『人生後半「そろそろ仏教にふれよう』(PHP新書、勘古館伊知郎・1・佐々木閑著) 

あのアナウンサー・況中継者として有名な古館氏が、仏教について熱く語る対談本です。この本によると、古館氏は親族の死をきっかけにお釈迦様の教えに触れ、その奥深さに引き込まれていったそうです。そして今では、会う人会う人に仏教の素晴らしさを熱く語るものですから、〈だんだん友だちを失っているそうです。

そんな古館氏が敬愛する仏教学者の佐々木閑氏と、思う存分仏教を語っているのがこの本です。とにかく古館氏の仏教愛が暑苦しいくらいに語られていて、本を読んでいても「少しだけ黙ってもらっていいですか」といいたくなりました。


 古館氏の軽妙な語り口で仏教の基本が学べる良書であると感じた一方で、「これは誤解を招く表現だな」と思うところもありました。それは、L現在日本に伝わっている大乗仏教は、お釈迦様が説いた本来の仏教ではない、という古館氏の意見です。確かに仏教は長い年月の間に大きな変化をくり返し、日本に伝わってきた頃には禁止されていた仏像が造られていたり、お釈迦様の時代なかったお経が創られているなど、大きく様変わりしていました。しかし、お釈迦様の教えの根幹である「諸行無常」と「諸法無我」は決して変わってはいなかったはずです。

その証拠として、奈良時代の『万葉集』や平安時代の『古今和歌集』には無常観を詠む和歌がたくさん残されています。百人一首に収録されている小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」はその一例です。このような世の無常をうたった歌が多こいことは仏教の伝来と無関係ではないと思います。

このように、平安時代の日本人は仏教の無常観を「もののあはれ」として美的感覚にまで高めました。さらに室町時代には「わび・さび」と呼んで無常を尊びました。これこそ、お釈迦様の教えである「諸行無常」が日本人の心に深く浸透している証拠ではないでしょうか。

「大乗仏教はお釈迦様の仏教ではない」という表現は乱暴すぎる気がします。

 

 

もどる