2025新春 信徒座談会

 

今回は、埼玉県所沢市の行善院(松本道尚師)を訪問しました。7名のご偉徒に集まっていただき、みなさん の信心や亡き先代住職の思い出話などを伺いました。(司会編集部)

 

信仰のきっかけ

 

(司会)始めにみなさんの信仰を始めたきっかけを教えてください。

(阿部さん)主人の父が創価学会に入信していたので、私も入倍しました。その後、昭和57年に主人を亡くし、そのころすでに創価学会を辞めていたのですが、知人に行善院を紹介してもらい、先代の松本格道住職が葬儀にきてくれました。

(柳沼さん)私は、叔父叔母の紹介で創価学会に入りました。学会の52年路線をきっかけにみんなで脱会して、正信会寺院につきました。その後、息子が亡くなったことを緑に行善院へ所属しました。

(入江さん)私は、まず主人が創価学会に入信したんです。当時、私は創価学会嫌いでしたが、運転手の仕事をしていた主人が交層事故を起こして、その時備に藁にもすがる気持ちで南無妙法蓮華経と手を合わせたことがきっかけでした。その主人は今、人工透l析をしているので、なかなかお寺に参詣できないのですが、朝夕の勤行は欠かしていません。

(長瀬さん)私が19歳の時、街頭で誘われて行っ.たら創価学会員の家でした。御本尊様はいただいたものの、わけの分からないことだらけで、1度は御本尊様を返しました。その後23歳の時に、また近所の学会員に勧誘されて御本尊様を下付されたのですが、それから仕事に行き詰まって、北海道の故郷に帰ることになり、また御本尊様を返すことになったんです。結局3度目の正直で信膚仰につきました。

(長谷川さん)私は、兄が創価学会に入居して青年部をやっていました。そのころ故郷の母が骨折をしまして、離れていたので何もすることができず、兄に「お題目なら送れる」と言われたのがきっかけですかね。

(宮崎さん)私は、生まれたときからすでに家族が創価学会でした。私が20歳ぐらいの時に正信覚醒運動が始まり、創価学会の信仰がずれていることを聞いてから正信会に入りました。結婚をして埼玉県に引っ越してきたときに、正信会寺院を調べて行善院に所属したのです。

(厚東さん)私は創価学会を経験していなくて、正信会に所属していた親の信仰を継いだ形です。私は生まれてまだ記憶のない噴から行善院に参詣していたようです。

 

正法に目覚めて

 

(司会)多くの方が創価学会に所属していて、その体質のおかしさに気づいたのですね。では、みなさんが正信に目覚めてからの信仰心や信仰を深めた転機などがありましたら教えてください。

(長瀬さん)私は御本尊様を下付されてからは、朝晩五座三座の勤行をさぼったことはありません。先代から御本尊様を中心に生活するように指導されていたので、勤行の時間を基準にして寝起きをしています。空いた時間に勤行なんて言っていると、信心修行が疎かになると教わりました。

(柳沼さん)私は御本尊様に守られているという実感が、信仰を深めたと思います。真剣に信心をするようになったのは20代の頃でした。人生の中で、生死を分かつ場面が多々ありましたから…。

(入江さん)私の主人は一昨年、病気で7か月入院して「もう長くない」と診断され、葬式などのことも住職と相談していたのですが、リハビリをがんばってくれまして無事に帰ってくることができました。2人で勤行に励んで今はだいぶよくなってきました。主人が入院していた時は、これまでになく真剣にお題目を唱えました。ここまで必死に励んだのは初めてでした。それが、病によって道心が起きるということかと患い思す。今は何もかもがスムーズにできています。ご主人を亡くして独りになった友人からは、暇で何をやったらよいか分からなくて因っているという話を聞いて、私には御本尊様があり、新聞で仏教を学んだりと、信仰があることのありがたさを感じます。やることがたくさんあるということは、幸せなんだと患います。

(厚東さん)私は、若い頃はお寺に連れて行かれているという状態で、そこから変わったのは中学の頃に悩みがあって、親にはお経をあげなさいとかではなく「とりあえず仏壇の前に座りなさい」と言われ、その時に自身の心が落ち着いて「自分は1人じゃない。御本尊様は味方だ」というような気持ちになったんですね。自分の拠り所があることに気づいたという感じで、御本尊様が自分の中にいるんだなということが、実感できたような気がしました。

(長瀬さん)私は世間を見回したときに、自分には徳がないと思ったんです。そこでは三世ということを意識しました。だから私は前世から、いま修行にきているんだと思うようになりました。だから御本尊様に何かをお願いしたことはありません。

(阿部さん)私も主人が事業に失敗して困った時はありますが、自分の前世の行いだと思えたから乗り越えられました。

(長谷川さん)本当にそうですね。悪いことがあったらそれは前世の報いであると考えれば、つらいことはないですよね。いつでも穏やかな心でいられる。それは信仰のお蔭だと思います。でも御本尊様に自分のお願いなどは私もしませんね。そのように先代から学びましたから。

(厚東さん)善いことがあるときは感謝して、要いことがあれば叱咤されていると考えれば、人を妬んだりしませんね。

(宮崎さん)私もお陰様で平穏無事に生活させていただいていること、また毎月のお講に参詣できることを御本尊様に感謝しています。

(阿部さん)私は先ほど言ったように、主人を事故で亡くしてからですかね。主人は52歳で亡くなって子ども2人抱えて途方に暮れた時に、先代が心配してくださってね。それで御本尊様にすがっていこうと決めました。

 

先代住職の人柄に  

 

(司会)みなさん先代の松本格道師からの指導が、よく受け継がれているようですね。先代はどんな人柄でしたか。

 (厚東さん)私にとって先代は、物心ついたときには一緒にいたので、ご僧侶というよりも優しい父親のようでした。子どもはうるさくて当たり前だからと、お寺で騒いで叱られた記憶はありません。

(阿部さん)先代は、とにかく話しやすかったです。口は乱暴なところもありましたが、何でも話せたから・‥ざっくばらんな方でした。

(入江さん)うちの主人は言葉遣いなどにうるさい人だったので、先代とはよくやり合っていました。でも、先代と主人が2人だけで御書の勉強をしていたことがあり、お互いが認め合っているのと、その背中から感じました。

(柳沼さん)でも、お酒の席では友だちみたいだったね。

(一同)笑い。

(入江さん)ふだんの先代が自坊で行う勉強会は長くて難しいのですが、教区の研修会などではとても分かりやすく話すのです。その理由を聞くと、「お寺で話をしていると、みんなに伝えたいことがたくさんあって力が入ってしまうんだよ」と仰っていました。

(長谷川さん)自坊での研修会では、分厚い冊子みたいな資料が配られてね。生命あるうちに伝えておきたいという先代の情熱だったのだと、今では思います。

(厚東さん)そうそう。結局5頁いけばよいほうだったけど、宅お講の時に続きをやってくれましたね。

(長谷川さん)月に1回ほど、地域の宅お講があったんですけど、そこでもご法門を熱く説いてくださいました。先代は大らかな方でしたが、世間話をしながらお会式のお花を作っていると叱られたこともあり、信仰に関しては厳しかったです。

(阿部さん)コロナになってからは住職を囲んでお茶を飲んだり、世間話をするようなことが少なくなってしまったことは寂しいですね。

(厚東さん)そうですね。でも去年からはお会式後の宴席も復活したし、早くみんなの感覚が戻ってくれることを願っています。移転前の本堂はすごく狭くて、庫裏はないに等しく、玄関即本堂で本堂が住職の居場所だったから、自然とお互いの会話が多かったですね。今は受付やロビー、控え室もあって…。贅沢な悩みですね。

(入江さん)ほん吐い身近だったからこそ袈裟や衣のたたみ方も教わったしねぇ。

(長谷川さん)そうそう。前の本堂では先代の定位置があって、行くと必ず何か読んでいるか書いているかしていましたね。

 

先代から学んだこと

 

(司会)話を聞いていると、みなさんと先代とは温かい繋がりがあったようですね。

(阿部さん)先代とは、法要が終わると一緒によくお酒を飲みにいきました。先代と講員とで旅行にもよくいきました。先代は人との繋がりをとても大切にする方でした。

(柳沼さん)私は、先代との繋がりが息子の死でした。先代は何というか、付き合いやすいというか信者とご僧侶という関係を超えた親近感がありました。そういえば、霊園で息子の一周忌をした時に、法話が長すぎたため、借りた会場の時間が超過してね。

(厚東さん)勉強会などでは伝えたい信倍仰の話がたくさんあったようで、どんどん話題が出てきて話が長くなることもありました。教学に対する知.識が溢れているように感じました。

(入江さん)教義など難しいことが分からなかった私に対して、先代はお給仕や献勝といった化儀から丁寧に教えてくださいました・ですからお会式などでは裏方だったのですが、先代は「いつも悪いなぁ」と声を掛けてくださり、その声は今でも耳に残っています。

(司会)なるほど先代はみなさんに伝えたい信仰への思いが強かったようですね。

(厚東さん)先代が以前、「ザックリ言えば大聖人の教えは悪いことをするな。良いことをしなさいという当たり前のことを言っている」と話されていて、それは私の心にスッと入ってきました。当たり前のことが人間はなかなかできないということを示唆していますね。

(入江さん)故人の成仏の話の中で、先代が「遺された親類縁者が仲良く幸せならば、故人は成仏しているんだよ」と言っていたのが心に残っています。それから、「人は泣いて生まれてくるけれど、死んだら泣けないからみんなで集まって泣くことも悪いことじゃない」という話も憶えています。

(長瀬さん)私が先代の言葉で胸に刻んでいるのはお会式のこと。1年に1度なのだから、次の年のお会式の日も仕事を休んで参詣しなさいと先代は話されていました。私は仕事柄休みがなかったのですが、1年前に休みを申請しておいて、お会式には必ず参詣します。

(長谷川さん)私は、「悩みなどがあるなら、お寺に置いて帰りなさい」という先代の話が心強かったですね。お寺にいくまでは、「今日は休みたいな」という気分でも、参詣すれば「来てよかった」と思えるのですから不思議です。

(司会)時間もなくなってきましたので、最後に今年の抱負のようなものを一言ください。

(阿部さん)目標は90歳まで生きること。もちろん死がくればそれは寿命ですけどね。子や孫が元気でいてくれればそれで十分です。

(宮崎さん)私は骨密度が低いので、筋トレを始めています。長く歩けるように、健康維持を心がけたいですね。

(柳沼さん)私は娘の法燈相続を何とかしたいのです。ただ嫁ぎ先なので…。2人の孫の七五三は行善院でお祝いしているから、信仰は身についてはいると思います。

(阿部さん)私が入院していた時、同居の長男は御本尊様のお水やおしきみを替えてくれていました。今は真剣な信心に見えないけれど、きっとどこかで根付いていると私も信じています。

(長谷川さん)私も息子をお寺に参詣させたい。子どもの頃はお寺にきていたので、まったく縁がないわけではないと思います。

(厚東さん)私は、長女が徐々にお経を唱えられるようになってきているので、それを継続させたいですね。

(入江さん)私は、行善院の参詣に電車を6回乗り換えなければならないため、主人の体調が良くなって、お寺にもう一度でも、一緒に参詣したいと願っています。

(長瀬さん)私は日々の題目で椎念なく、無心で唱えられるように精進したいですね。どうしても雑念は起きるけど、気持ちを引き締めて清々しい題目を唱えていきたいで″す。

(司会)みなさん長持闇ありがとうございました。今年も清々しい気持ちで1年を過ごして参りましょう。お疲れ様でした。

 

 

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