いま私たちたちがやるべきこと 

 

法燈相続の未来

 

久住寺執事 児玉 光瑞

 

◇分かり合えない理由  

人は、最も身近な家族であっても、言葉で十分に分かることはほぼありません。親は、 あなたの忠告通りにこまめな水分補給をしますか。あなたの子どもは、忠告通りに勉強しますか。しませんよね。 「熱中症にならないように」や「将来困らないように」という言葉の奥に潜んでいる理由まで理解できる人は少 ないのです。

 例えば「掃除」。年 配者の多くは、松下幸之助の名言「掃除ひとつできないような人間だったら、何もできない」に納得しますが、 若者の多くはそんな哲学を感じません。掃除のイメージは、「キレイにする」以外に、 「ひたむきさ」 「おっくう」「頭を整理する」 「さっぱりする」など 千差万別。このように人は、ある事がらに多様な意味付けをします。これを「概念」といいます。これが異なるため、言葉だけでは分かり合えないようです。

 信仰はもっとややこしいです。なぜなら、 姿・形のない概念だからです。例えば「幸せ」 という言葉は子どもで も知ってい ますが、姿 ・形がありません。きっとみんな説明はバラバラですよね。「概念」が不明瞭だと、他者に正確に伝わらないのです。

◇糸口は正直捨方便  

兄弟でも性格が違うように、概念は身近な家族でも異なります。 ですから、「自分と他者とは概念が違うのだ」とあらかじめ知っておくことが大事です。意見が異なると、 人は往々にして感情的になり、屈服させようとします。こうなるともう、相手を理解する気さえなくなります。 感情や先入観を捨てなければ、真実は見えな いのです。

 仏さまは、「正直捨方便」が大前提だと教えられています。これは、単に特定の団体に所属することだけでは不十分です。信仰とは、 人間の行動原理に関わる概念です。従って 「正直捨方便」の本質とは、「何に対しても、 感情や先入観を一回全部捨てて、物事を冷静で客観的に認識しなさい」ということです。

 全部理解している人間なんていません。親が全部正しいわけでもありません。特に信仰の話には、家族への先入観を捨て、あなた自身のこれまでの信仰観でさえも一旦捨てて、 あくまで冷静で客観的に、素直な気持ちで向き合うことが大事です。法燈相続の目的は、 相手を屈服させることではないのだから。

◇そして「言語化」  

相手に正確に伝えるには、頭の中でぼんやりしている概念の「言語化」が不可欠です。 例えば「成仏」がどういう状態か言語化できますか。御本尊とは。 お題目とは。いろいろ ありますね。なにもすべての概念を言語化する必要はありません。大事なこ とだけでいいのです。

 ちなみに私は、成仏=幸せの境界、本尊=真実の概念化、題目=真実の象徴、幸せ=心が満たされている状態、こう表現します。 私と頭の中が違うのですから、皆さんは自身の言葉で言語化してください。間違っていてもいいのです。つじつまが合わなくなったら、そのとき修正すればいいだけのこと。私もあなたも仏ではないのだから。

 素晴らしい歌の歌詞は、他が言語化したものだけど、人を感動させますよね。それと同じで、根っこのところで「本当にその人のために」と思っていれば、情熱は伝わるもの。 大事なことは、間違い恐れることより、言語化の訓練です。

 時代はどんどん変わります。信仰の形も変わるでしょう。そのうち、参詣はVR、ご供養はトークンになるで しょう。この概念が分からない人は、調べてみてください。概念は、 次々と誰かから生み出されます。それに世間が賛同する時、例えば インターネットのようにそれが時代の当たり前になります。信仰の本質は時代を経ても変わりませんが、形は変わります。

 あなたの頭にある概念を、きちんと言語化できるようになっておかなければ、次世代には伝わりません。

 

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