いま私たちがやるべきこと〜2030年の信仰

 

意地もプライドもいらない

 

久住寺執事 児玉 光瑞

 

◆プライドとは感情

 「プライド」とは個人や所属集団に誇りや 自信を持ち、自分が優位だと思い込む感情です。一般には、自己肯定感はよいこととされます。漢字では「自尊心」。キリスト教に改 宗した福沢諭吉の「独立自尊論」に由来します。西洋文化や科学技術を取り入れ、日本人が独立心や自尊心を持ち、自分で物事を判断 ・行動することが必要だと訴えました。いわゆる啓蒙思想です。そ して日本は大きく飛躍 しました。

 しかし国にプライドを持った時、危険な可能性があります。自分に関係のない人と衝突 するからです。たとえば、自分と無関係なのに、ロシアや中国や北朝鮮に対して悪い印象をもつ。歴史上、戦争の世論はこうして高まります。プライドとは あくまで「個人的」な 価値観や感情。これに支配されると客観的判断ができません。ちなみに、仏さまの目線ではプライドとは単なる固執。仏さまが教えるのは、仏知見と慈悲の心、つまりすべての人を幸せの境界へと導く意思と知恵 です。

◆客観と目的が大切

ちょっと皆さんの感情を動かしてみましょう。OECD国際成人力調査によれば、働く日本人の75 %は小学校レベルの学力です。私は中学校3 年程度の学力なので、 これを読んでいる皆さんより頭がいい可能性が高い。こういうと、 私を傲慢だと思ったり して、感情が動きませんか。人は簡単に感情が動きます。ちなみに私は塾講師の経験があり、生徒の実力で志望 校へ合格したのに、親からずいぶん感謝されました。プライドや自尊心は、客観的事実ではなく、主観です。感情と深く結びつき、人をムカつかせ、人を感謝させるのです。

 脳科学的には、プライドを傷つけられることと、痛みを感じる脳の領域は同じだそうです。つまり、プライドは私たちのDNAに深 く刻み込まれています。仏教では、プライ ドを捨てることは、煩悩を捨てるのと同義です。ご存知の通り、煩悩をすべて捨て去るのは無理です。ですから、 完全にプライドも捨てられないでしょう。とはいえ、本能のままで生きるのは、動物と一 緒です。一方で、私たちは信仰があります。 信仰の強みは、胸を張って「きれいごと」を 実践できるです。

◆道徳的価値とは

今の子どもたちは、 あまりプライドを持たず「きれいごと」をいいます。私たち大人たちの意地の張り合いに辟易しているのかもしれませんね。ただ、行き過ぎた多様化教育で何でも受け入れてしまう傾向があると思います。過度な寛容は、目的や方向性の欠如につながり、道徳的価値を教えられません。ですから今の子 どもたちは、目的なくゲームや動画で時間を浪費するのです。

 革新へ突き進む、良いことです。伝統へのこだわりもいいでしょう。しかし、大事なことは、その目的です。 すべての人が幸せの境界に到ることです。 「すべての人」には当然海外の人や正信会以外の人も含みます。私たちは大きな器でなければなりません。

 仏教で説かれる十界をみるに、地獄界〜天 界までの六道は感情、 声聞・縁覚は自分のエゴです。菩薩・仏から 目的と行動が伴います。私たちは菩薩スタートです。仏知見を開示悟入させるのが、目的であり行動原理です。同時に私たちはみ んな末法の凡夫。小さ な世界で偉ぶったり、 他者を称えたりして生きていますが、それは 何の意味もありませ ん。法華経には、大賢者が若者を指さして 「あれは私の師匠だ」 というシーンがあります。見た目や年齢、はたまた所属は関係ないのです。私たち凡夫の 心には、無意識に個人的な感情や偏見が紛れています。巷には、本質から外れた様々な偏った意見が溢れていま す。違う意見を持つ人に対し感情を動かすのではなく、その人の幸せを願って努力する 姿、その目的が「きれ いごと」だから、私たちの行動する姿は尊く なるのです。

 

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